気まぐれエンジニア日記

ひよっこエンジニアの雑記

思いを持つということ、伝えるということ

このブログを動かすのはいつぶりでしょうか、くまちゃんです。

これは 徒然 Advent Calendar 2022 - Adventar の23日目の記事です。

はじめに

4月から社会人、ソフトウェアエンジニア1年生になりました。研修やOJTも終わって、業務としてアプリケーション開発を本格的にやり始めています。優秀なチームメンバーに囲まれながら、少しでも貢献しようともがく毎日です。

そのかたわらで、学生時代にやっていた研究を趣味として続けています。研究といっても、自分の欲しいWebアプリケーションを作って修士論文にしちゃおうというものでした。趣味となった今では、自分の欲しいものをより良くするために、せっかく作ったものが死んでしまわないように、細々と活動を続けているという感じです。

ここでは、趣味として今も続く研究、そして新しく始まった業務の中で得た、「思いを持つということ、伝えるということ」について書こうと思います。思いを持ってモノを作るってどういうことなんだろう、思いを伝播させるってどういうことなんだろう、と考えて出した答えです。

思いを持つということ

何もないところから

学生時代に作っていたWebアプリケーションは、授業を受けて内容を整理する、理解するためのツールでした。「クソ真面目なテーマだな」と自分でも思いつつ、勉強をするってどういうことだったのかを学生最後に知りたかったというのもあり、時間をかけて取り組むことにしました。

著者自身の持ち込みで始めたことなので、正真正銘、何もないところからのスタートでした。初めのうちは、「こんな風に授業が整理できたらいいんじゃね?」ととりあえず画面の絵を描いてみて、とりあえず思うように作りました。何ヶ月かやると、なんか動いていそうなものができ、何もないところからモノが出来上がっていく過程を経験できました。でも、このとき、「思うように」作ってはいましたが、それは今考えれば「思い」ではありませんでした。

自分は何を作ったのか

自分の欲しいものを作るとはいえ、あくまで研究なので、成果発表会を乗り越える必要がありました。手元にあったのは「とりあえず思うように作ったもの」ですから、どう発表するのかに苦しむことになりました。どういうことを目指しているか、どんなことを重視して作ったのか、できたものはどんな特徴を持っているのか、といったことを自分の中から「掘り起こす」必要がありました。

自分は一体何を作ったと言えるのだろうか。

このことを日々自問自答して、周りの力も借りながら、懸命に「自分が大事にしていること、その結果できたもの」を言語化しました。この中で、思いの種のようなものが、できていったような気がします。

自分は何を作るべきなのか

「自分はこんなことを重視して、こんな特徴を持ったものを作りました!」

やっとのことで発表が成り立つようになった頃、次の関門が顔をのぞかせます。

「こういう風な機能とかコンセプトみたいなことは考えないんですか?」

こういった質問や意見が寄せられるようになりました。質問や意見が全く間違っているということは少なく、どれも一理あるものでした。けれども、相反する意見や作っているものの根本から変わってしまうような意見も、少なくありません。そんなとき、指導教員がこんな言葉をかけてくれました。

聴衆の言っていることが常に正しいとは限らないんだよ。重要なことは、君がどういう立場を取るかを決めて、言い切ることなんだな。

自分は何を作るべきなのかを徹底的に考える。どういう意見やアイデアを取り入れるのか、捨てるのかを覚悟を持って選ぶ。

これが思いを持つということだと、少しずつ自分の中で思えるようになりました。

自己表現としての、モノづくり

このアプリケーションはこういうものであれ、こういうことを理想とせよ。

こうした思いをどっしりと構えることができれば、雑多な意見も怖くありませんでした。「いいですね、そのご意見いただきます」ということもあったし、「そういうことなら別で作るのがいいかなと思います。ここでは見送りますね」ということもありました。
こうしたことを繰り返すうち、「作っているアプリケーションが自分の思いを含んでいる」から、「自分の思いをアプリケーションとして表現する」に変化していきました。

考え、覚悟を持って選び、表現する。

著者なりのモノづくりを見つけることができました。

思いを伝えるということ

思いに心を寄せる

社会人になると、自分の欲しいものを作ることから、社会が必要としているものを作ることに変化しました。けれども、意外なことに、やることはあまり変わっていないように思います。「何を作ったと言えるのだろうか」、「何を作るべきなのだろうか」と問う相手を自分ではなく、他人にすれば良いからです。

自分が何を作ったと言えるのか、何を作るべきなのか、なかなか見つけられなかった経験が役に立ち、他の人の「どうなると便利なのだろう」という悩みにも、心を寄せることができるようになりました。「しんどいですよね」、「例えばこういう風になると便利ですか?」と言って、相手の思いを懸命に引き出しています。自分が欲しかったものができた時の感動を知っているから、他の人が欲しいものも全力で作るのです。

そして、楽しそうにモノを作っていると、案外他の人も思っていることをぶつけてくれます。「私はこう思う、こういうのが欲しい」と意志を示してくれるので、覚悟を持って選ぶことが伝播した感覚になります。

他者代弁としての、モノづくり

他の人が考え、覚悟を持って選べるように心をよせる。他の人が覚悟を持って選んだものを受け止め、表現する。

これが著者にとっての思いを伝えるということでした。自分の思いを他の人に伝えるプレゼンテーションではなく、他の人の思いを引き出してモノを作る他者代弁が、思いを伝播させることだと思ったのです。学生時代に、モノに思いをのせるのではなく、思いをモノを通じて表現しようと思ったからこそ出せた答えだと思っています。

おわりに

「思いを持つということ、伝えるということ」について書きました。

学生時代の経験から、思いを持ったモノづくりを、著者なりに見つけることができました。思いを持つとは、作るべきものを考え、多数の意見やアイデアから覚悟を持って選ぶことでした。モノづくりをする中で、モノに思いをのせるということから、思いをモノを通じて表現することへと変化していきました。

社会人になってからは、他の人の思いに心を寄せ、覚悟を持って選ぶ手助けをしています。そうして引き出せたことをアプリケーションで表現し、他者の思いを代弁できるように心がけています。この活動こそが思いを伝えることだと感じています。

自分で思いを持ちつづけること、他者の思いを伝えられるようになること、これを大切にしながら、これからもモノづくりをしていきます。